道徳の教科書を越えた、新しい道徳

読んでよかった本です。いや〜、痛快だ。

著者の発言はごもっとも。口語調で書かれており、北野さんのお話を聞いているかのようだ。

わたしが共感したのは以下の2点。

友だちが一人もいなくたって、幸せに生きてる奴はたくさんいる。

道徳の教材でもうひとつ気になるのは、やたらと友情の価値を押し付けるところだ。

いじめの問題があって、それをなんとかしようということなんだろうが、浅はかな考えだ。

「友だちがいると楽しい」とか「友だちに助けられた話」とか「友だちがいるとこんないいことがある」とか、例によっていろんな友だちの効能が道徳の教材にはかいてある。

まず、それが打算だろう。ほんとうに友だちがいる奴が書いたのか。

友だちを助けるのは、いつか自分が助けてもらうためではない。友だちが好きだから、助けるだけのことだ。友だちを助けることで、自分が不利益をこうむったとしても、それでも助ける。それがほんとうの友だちってものだ。

友だちがいてよかったなっていうのはあとから思う話であって、友だちなんてものは何かの目的のために作るものではない。

だいたい、役に立つからって友だちを作るような奴と、誰が本気で友だちになりたいだろうか。そうでもしなきゃ、今の子どもはなかなか友だちを作ろうとしないのか。

友だちなんて、無理して作らなくたっていい。

友だちが一人もいなくたって、幸せに生きてる奴はいくらでもいる。

ところが道徳の本を読んでいると、友だちがいないと幸福にはなれないような気分になる。

友だちを作れない人間は、まるで問題があるかのようだ。

そういう教育をしているから、友だちを作ることが強迫観念になって、なんとか仲間はずれにならないように涙ぐましい努力をする子どもが出てくる。子どものイジメが増えた原因も、案外そんなところにある気がする。

道徳の教育で教えるべきなのは、むしろ無理して友だちなんて作らなくても、人は十分に幸せに生きていけるということだ。

「友だちがいないお前は欠陥人間」と言われたわたしとしては、「友だちを作れ」と強要した連中に聞かせてやりたい言葉ですよ。現役の教師(小、中、高)の教師にも聞かせたい言葉。

もうひとつ、共感したのはこれ。

死との比較があって、はじめて生きているという感覚が生まれる。

死の概念も朧げにしかない子どもに、どんなときに生きてるって感じますかなんて質問をするのは無茶だ。まして、「楽しく勉強してるとき」だの「おいしく食べてるとき」だのに、生きてるって感じるんだよなんて答えまで用意して、「生きてる」という感覚を強制しているわけだ。

いったい何のためにそんなことをするのかわからない。

むりやり感じさせる「生きてる」という感覚とやらに、どんな意味があるというのだろう。

(中略)

子どもにこう感じなさいとか、こう思いなさいとか、無理強いするのが道徳教育だとすると、それはいくらなんでも危ういと思わないか

これもごもっとも。
「どんなときに生を実感するか」の質問以外にも、「○○の場面ではこう感じろ」と暗に強制されるのが大嫌いでした。

先生が求めてる答えと違うことを答えると、先生がブチ切れて授業が成り立たなくなったこともあったしね・・・。

感情も、考えも、感じ方も、教師の求める答えを言ってくれというのが気持ち悪い。

先生の喜ぶ答えしか言わない、ヒラメ生徒を量産したいだけなんじゃないかと思う。

「いかにも先生が求める生徒像」が書かれた文科省の教科書よりも、この本こそ道徳の教科書にふさわしい。そう思った1冊でした。

写真の無断使用を固く禁じます。

・道景マガジンを無料で送付します。申し込みフォーム

・プロフィール写真撮影を承っております。詳細はこちら

・ツイッター:https://twitter.com/doukei_photo

・フェイスブック:https://www.facebook.com/kasumi.koba.3