子供に教えることは親の義務。教えることを放棄するのは虐待と同じ

『鬼滅の刃』のTVアニメ化が炎上している。
理由は、物語の舞台が遊郭であること。
子供に教えるか否かで意見が対立している。

「遊郭は子供に不適切。子供向けの設定に差し替えるべき」
「かつて存在したものなのだから、教えるべき」
「そもそもPG12指定の作品。子供に遊郭を知って欲しくなければ見せなければ良い」

炎上の内容を知ったとき、呆れた。
何に?
子供に教えられない親に。

あのさ。
子供が好きな作品だからって、不適切表現が出てきた時、子供向けに差し替えろっていうの?
モンスタークレーマーと同じ。

「子供は知らなくていい!」は育児放棄と同じ

この作品がなければ、「遊郭って何?」と聞く子供はあまりいないと思う。
でも、子供に聞かれて教えられない親って、親としての力量がない。

「子供がそんなこと聞くんじゃありません!」
「子供は知らなくていい!」

そう言って突き放すのは、育児放棄と同じ。

たとえ衣食住を満たしていても、暴言や暴力を振るわなくても、教えることを放棄した時点で虐待と同じ。

わたしは独身です。
結婚願望ゼロ。
子供はいないし、いりません(大の子供嫌い)。

『鬼滅の刃』にも全く興味がない。
原作本もTVアニメも映画も一切見ていない。

でも、もし、自分に子供がいたらどうするか?
教えます。
子供の年齢に関係なく。

というのも、私の故郷、札幌にもかつて存在しました。
薄野遊郭。
冬に内地に戻る開拓民を繋ぎ止めるために作られました。

今は跡形もないけど、白石(しろいし)遊郭も存在した。
現在の札幌市白石区です。
今は住宅街です。

教えることは親の義務

これがお金ならどうでしょう。

わたしが経験したこと。
小学4年(1996年、当時10歳)のときの、ある日の夕食時の会話です。

わたし「ミュージックステーションのセットって100万円くらいかかってるみたいだよ」
母「子供がそんなこと言うんじゃありません!子供らしい話をしなさい!」

その時は、話はそこで終わりました。
でも、今なら母にこう言います。
「なんでお金の話をしちゃいけないの?子供らしい話ってなに?」

もし、自分が母の立場なら、こう言います。
「どうして、ミュージックステーションのセットが100万円もかかるかわかる?
セットを作るのに、たくさんの人が関わっているんだよ。
セットをデザインする人、作る人、スタジオまで運ぶ人(運送会社)、スタジオで組み立てる人。
色々な人が関わっているから、100万円もかかる。
その100万円が、セットを作るのに関わった人たちのお給料になるんだよ。
その人たちは、そのお金で生活をしている。
食べ物や日用品を買ったり、家賃や光熱費を払ったりなどね」と。

そして、それを機に、お金のことを教えます。
自分の知識に自信がなければ、調べたり、本を一緒に読んだり、セミナーに参加します。

だって、お金のことを知らなくて困るのは子供だから。
子供の無知の皺寄せが親に行くから。

親が子供に教えるのは義務。
それもできないで、親になるな。

親子で学べる環境が整っている

1996年は、親子でお金のことを学べる環境がなかったのでしょう。
現在ほどネットは普及していなかったし、田舎では小さな本屋しか情報源がなかった。
「学校で習いなさい」としか言いようがなかった。

2021年は、親子で学べる環境が整っています。
「親子で学ぶお金」などの本もたくさん出回っています。
お金以外にも、性教育、コミュニケーション、社会の仕組みに関する内容もあります。

「親の口からは言いづらい」「どう教えれば良いのかわからない」と言うのなら、これらの本を子供と一緒に読むところから始めてみてはいかがでしょうか。
Amazonなどのネットでも買えます。

子の年齢とともに、子育ての内容は変わる

10歳ともなれば、社会を教える子育てに変わります。
衣食住を満たすのは当然ですが、死なせない子育てから、社会や生き方を教える子育てに変わるのです。

もちろん、10歳未満の子供にも社会を教えることが大事です。
子供が興味や疑問を抱いたら、教えるのが親の務め。

子に生き方やコミュニケーションや社会を教えることは、親の義務。
自分が教えられないのなら、本やプロが開催するセミナーに参加するなど、外注しても良い。
教えることを放棄するのは、虐待と同じ。

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