2018年6月18日。
大阪で震度6の地震が発生した。
幸い、関西在住の友人、知人がSNSやブログで無事だと報告していた。
わたしはその投稿を見ただけで、何もコメントしなかった。
なんと言葉をかけていいかわからないから。
さもわかったような言葉をかけるのは不誠実だと思うから。
だから、地震が発生した日は、何も言わないし、書かなかった。
無事ならそれで良い。
7年前。
東日本大震災の時。
興味本位で安否を訊いてきた人がいた。
「ふざけ半分で聞くな。お前が死ね」と返した。
相手は謝罪してきたものの、今でも許せない。
そいつが津波に流されればいい。
そのような思いしかない。
家族も自宅も無事だったが、部屋の中は荒れた。
食器が割れ、テレビが壊れたと聞いた。
インフラの復旧に1か月かかったとも。
くだんのクズ以外にも安否を訊かれたが、半分は興味本位の聞き方だった。
「家族を見殺しにしたんですね」
「あんたの家族生きてんだ」
そう言われたこともある。
10人中、興味本位でなく安否を聞いた人は3人だけだった。
同情するでもなく、涙を流すのでもない。
ただ淡々と聞いてきた。
それがどれだけありがたかったか。
震災の安否を問われて、穏やかに話せるようになったのは2012年になってから。
精神的に落ち着くまで約10か月かかっている。
興味本位で安否を尋ねるのは下品でしかない。
ときには被災者やその家族、友人の神経を逆なでするだけだ。