「興味を持て」と命令されるのが大嫌いだ。
なぜ興味の対象を指図されなきゃならんのや。
興味を持てと命令されたものは、すべて嫌いになっている。
物事も、活動も、人も。
「美味しいから食べなさい」
「体にいいから食べなさい」
そう言われて、食べたくなる?
どんな高級食材も、どんな有名シェフの料理も、命令されて食べたいなんて思わないだろう。
興味をもってほしければ、好きになってほしければ、きっかけだけ与えればいい。
好きになるかは相手次第。
その場で好きにならなくても、或る日突然好きになることだってある。
中学生のとき、読書が嫌いな同級生がいた。
漫画を読むのは好きだけど、活字の本にさらさら興味がない人だった。
夏休みに読む本を決めるとき。
「私、この本にする。」と決めて読んでいた。
それから彼女は読書好きになった。
なぜか。
彼女が読むと決めた本は、kinki kidsの堂本剛さんが推薦した本だったからだ。
彼女は彼の大ファン。
ゆえに、「剛くんがオススメするなら読んでみる」といい、本を読んだのである。
バカバカしい動機って思うかな?
不純だって思うかな?
好きなアイドルの推薦図書だから読んでみた。
それでもいいじゃない。
結果的に、その物事が大好きになれば、それでいいじゃん。
興味を持って欲しければ、周りがすべきことは2つ。
きっかけを与えること。
干渉しないこと。
「好きになれ」と命令するのは、相手の好きを奪うことだ。
きっかけを与えて、見守る。これだけでいい。