共感とはあなたの発言に全面同意することではない

世間一般の言う共感や共感力というのが、「俺の言うことに賛成しろよ」という無言の圧力にしか思えない。
「あんたは私に共感してくれなかった。むかつく!」と言われたこともある。

あなたが求める答えを言わない人は、共感力無しとみなすのですね。
要はイエスマンが欲しいだけでしょう。

そもそも、共感とはなんなのか?
辞書を引いてみる。

① 他人の考え行動に,全くそのとおりだと感ずること。同感。「―を覚える」「彼の人生観に―する」

② 〘心〙〔 sympathy 〕他人の体験する感情を自分のもののように感じとること。

③ 〘心〙〔 empathy 〕 →感情移入

同感も辞書で引いてみる。

同じように考えること。同じように感ずること。
「―の意を表す」「君の意見には全く―だ」
「彼の主張には―するところが多い」

ついでに同情も引いてみる。

他人の苦しみ悲しみ不幸などを同じように感じ,思いやりいたわりの心をもつこと。かわいそうに思うこと。
を禁じ得ない心からしますをよせる

つまるところ、自分に同情してくれる人、自分の意見に賛成してくれる人を求めていますってわけね。

書店に行くと「子供の共感力を育てる」「共感上手な子供にする◯の方法」といった本がずらりと並んでいる。

あのー、そんなに共感力、持って欲しいか?
そんなにイエスマンになってほしいか?

要は周りに合わせろってことでしょ。
あー、気持ち悪い。
多様性と言いながら、共感という言葉で隠したイエスマンを求める風潮にヘドが出る。

共感して欲しかったら、共感の押し売りは絶対したらアウト。
「てめえは俺に共感しねーのかよ、共感力がない」というあんたが共感力ないよ。
共感は命令されてするものではない。

ここまで書いてみましたが、皆さんはどう思いますか?
ご意見お待ちしております。

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