心の機微は命令されて持つものではない

「小説をよく読む人は、人の気持ちがわかる人だ」

はぁ?
まるで、小説を読まない人間は冷酷な人間だと言わんばかりの言いぐさやな。

わたしは小説が苦手だ。
2008年までは読んでいたが、2009年以降あまり読まなくなった。
1年に1作品読んだらよい方だ。
漫画に至っては一切読まない。
絵と文がごちゃごちゃで疲れるから。

読む気にならないのよ。
職業小説も、恋愛小説も、冒険小説も。
読んでてイライラすんねん。
「なんで、こんな風に思うんやろ」
「自分を傷つけた人間をなぜ助けられる?」
そういう疑問ばかり浮かぶから、登場人物に感情移入できない。
わたしならこうするといった提案ばかり思いついてしまう。
いちゃもん大会になるから、結局本の内容が入らない。

帯に「泣ける」と書いてあったら、意地でも泣くもんかと思う。
感想は、「で?」しか出てこない。見事なアマノジャクっぷり。

エッセイの方がまだ感情移入できる。
リリー・フランキーさんの『東京タワー、僕とオカンと、時々、オトン』は感情移入した。
3年前までは、エッセイを買っていた。
今はそれもなく、写真の本ばかり読んでいる。

他は何があったかな?
三浦しをんさんの『まほろ駅前多田便利軒』も、なんとなく覚えている。
最初に映画を見たときはちょっと泣いた。

本読んで泣いたのはこの2作品だけ。
他は全然泣けない。

音楽も2曲しかない。
強く感情を揺さぶられたのは。
B’zのいつかのメリークリスマスと、平井堅さんがカバーしたDESPERADOの2曲。
ドラマや映画も、合計3作品しかないな。

そう考えると、約30年生きてきて、5作品でしか泣いてない。
つまり、6年に1回、作品を観て泣くという計算。
オリンピックより回数少ないのよ。びっくり〜。

心の機微は命令されて持つものではない

あのさ、「泣ける小説」「これぞ純愛」とか書いてあったら、泣かなあかんのか?
泣くのも笑うのも、人の勝手ちゃうん?
泣くのは国民の義務か?

「泣ける作品なのに泣かないなんて、人としての心がないのか」と責められたことがある。
「泣くも泣かないもわたしの勝手だ。感情に命令するな」と返した。

心の機微がない人間はいない。
ただ、どこで反応するかが違うだけ。
面白いことで反応する人もいれば、泣けることで反応をする人もいる。
同じ作品を見ても、笑う人、泣く人、無反応な人、いろいろいる。

それをさ、「1+1=2」と同様に、心の動きはこうあるべきと思うからおかしくなる。
みんな違ってみんないいとかほざいて、でも心の動きはみんな同じ動きにしましょうねって。
アホか。てか無理。
心は命令されて動かすもんじゃない。

「◯◯の映画で泣けないなんて人としておかしい」とか発言するあなた。
人の心の機微に命令する方が、人としておかしいです。

ここまで書きましたが、皆さんはどう思いますか?
ご意見お待ちしています。

心の機微に命令されるのが嫌いな道景写真家
夏澄

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